がん相談

自己免疫活性化療法『Hope

2004年5月20日 エベレスト8849m登頂に成功

下山中に急逝した妻の初七日

標高5200mのベースキャンプにて

 

突然の発病 

20106月、アップダウンの激しい往復40kmのサイクリングレースに挑戦した。祝杯ビールの後、トイレで真っ赤な血尿にびっくり。慌てて受けた検査の結果、尿管がんの疑いが強いと診断された。尿管がんは動きが早いので、たとえ開けてみて砂であったとしても早めの手術と、がんであれば抗がん剤治療を勧められた。妻の7回忌を済ませた直後の発病。三度の食事すら大変な独居老人にとって、がんと戦えるのか、疑問と不安がせめぎ合っていた。その時の自分にはがんと戦う自信はなかった。妻なしでの闘病は到底考えられなかった。目の前に相談する人がいないという孤独感から、しばらくは何も手につかなかった。がんになったと騒ごうにも一緒に騒いでくれる妻がいなかった。妻のなき後、なんとか6年間を生き抜いた自分が愛おしく、70年の人生よく頑張った、悔いはない、そんな抑うつ的な気持ちが繰り返し押し寄せていた。』 

時空出版「進行がん ステージ4でも怖くない」2017117日出版 より

 

結局のところ、71歳の自分は無治療を選択した。医師仲間、先輩から君はどうかしていると叱責されたが、自分の選択の間違っていることを認めつつ、投げやりのまま時間が経ち、耐えがたい腰痛と尿管閉塞による水腎症、そしてリンパ節転移が始まった。

 

痛みで覚醒

水腎症による背部の鈍痛は耐えがたく、痛みを何とかしたく相談したところ、尿がたまって膨れあがった腎臓と病巣の尿管を取るしかないと言われた。あれほど治療は拒んでいたが痛みには無条件降伏の低落だった。早々に母校の病院へ駆けつけ手術を受けた。腸骨リンパ節の郭清術まではしないでくれと文書でお願いしたが、8時間に及ぶ術後の説明では右腎臓、尿管、膀胱の右尿管孔一部摘出、腸骨リンパ節郭清と教科書通りの手術であった。右の脇腹に2本のドレーンと太い膀胱カテーテルが入っていた。主治医からは翌日から歩き、10日後に退院と指示された。この3年、投げやりに生きていた私は痛みで一挙にこの世に覚醒した。

退院後病院から連絡があり、抗がん剤治療のため再入院を強く勧められた。

 

抗がん剤への葛藤 

 

医師仲間の先輩たちの中に癌で亡くなった人を何人もみている。見舞いに行き目の前に見たのは、どうみても抗がん剤の副作用に苦しむ姿だった。癌と戦うより抗がん剤と戦っているようにみえた。腹を決めるまでに1ヶ月、周囲の声に押され抗がん剤治療を受けることにした。担当医に抗がん剤低用量を繰り返し希望したが標準量で押し切られた。

 

20135月 

大学病院で右腎臓、右尿管、一部膀胱の摘出手術、腸骨リンパ節転移郭清術を受けた。 

9時間におよぶ麻酔と、8時間近い手術であった。10日後に退院した。

2013年8月、ステージ4、余命数ヶ月の告知を受ける。

 

2013年8月 

勇気ある逃走

 

術後の抗がん剤治療のため大学病院へ入院した。希望の低用量治療は拒否されGCP標準療法を言い渡された。1回目の投与で重度の急性腎障害を来した。血清ナトリウム111まで下がり意識朦朧、明日から集中治療室ICUの声を聞き、スイカに塩をぶっかけて食べ一晩で回復、このままでは命がもたないと判断、退院させていただきますと教授に申し出、フラフラ状態で退院した。勇気ある決断、勇気ある逃走と思っている。幸い、後輩医師の紹介で呉の光畑直喜医師に出会い、彼の協力を得て独自の自己免疫活性化療法に放射線治療と超低用量抗がん剤治療を組み合わせた複合療法に取り組むことができた。あと46ヶ月と言われた余命告知を打ち破り10年を過ぎた。私が取り組んだ自己免疫活性化療法の具体的な治療法について紹介する。

福島県郡山での、骨転移への粒子線治療を終え

帰路の途中、東京駅で幸運のしるし

ドクターイエローに出会った。

私が実践した免疫活性化療法

≪ゲルソン食事療法-断塩療法≫

 

癌はブドウ糖をエネルギーに増殖する。癌の大好物ブドウ糖を摂れなくするのが断塩療法。

ブドウ糖が細胞膜のゲートを開けて中に入るためにはナトリウムの助けが必要不可欠。

 

このメカニズムをNa+-ブドウ糖共輸送co-transportと言う。ナトリウムがないとゲートが開かない。断塩効果によりブドウ糖の取り込みが十分できなくなったがん細胞は弱り、駆け付けたキラーT細胞に殺傷される。

闘病中の私

私の断塩中のナトリウム値

抗癌剤腎障害によるナトリウム再吸収障害とは塩が腎臓から漏れる病気。塩漏れ状態の体に断塩するわけだから一段と低ナトリウムに陥る。体の塩分が低下すると胃部不快感、脱力、胸内苦悶、不安感、恐怖感に襲われる。こんなときは梅干し数個で軽快する。梅干しが効かないときは市販の1g給食塩を23袋内服すると嘘のように軽快する。断塩中は低ナトリウム発作(低塩発作)を何度も経験した。

しんどい治療の苦しみを忘れるため、

R44ヘリで北海道へ飛ぶ。

抗がん剤と放射線治療25回の後、

体はよれよれ、気力で生きている中で、

 

周囲の反対を押し、病気を忘れるため操縦訓練生として空の旅を選択した。

 

私が実践した免疫活性化療法

≪ゲルソン食事療法 - 野菜ジュースLPS療法≫

 

ファイトケミカルは野菜や果物が害虫から身を守るための色や香り、辛味、苦味などに含まれる機能性成分のこと。ファイトケミカルという未知なる成分に理屈抜きの夢と希望を持った。ニンジンジュース、野菜ジュースを毎日2ℓ飲んだ。懸念される農薬汚染に対しては、ホタテ貝の粉を使って洗浄した。断塩と人参・野菜ジュースによる免疫力活性化療法は回復を助けた主役の一つと思っている。

人参・野菜に豊富な抗酸化物質ファイトケミカルに含まれるポリフェノール、ビタミン、LPS(リポポリサッカライド、リポ多糖類)には自然免疫のマクロファージを活性化する作用が分かっている。このLPSのセンサーとしてのTLR4受容体の発見は2011年

ノーベル生理学医学賞を受賞した。

柏原原発を過ぎ新潟から秋田へ

ひたすら海岸に

沿って北上する。

長く単調ではあるが、

美しい海岸線を楽しむ。

 

私が実践した免疫活性化療法

≪ゲルソン食事療法≫

 

余命告知から3ヶ月経った11月24日解毒療法であるゲルソン食を選択した。

ゲルソン食の基本理念は、未精製食材の推奨。塩ナトリウムと動物性タンパクはがんを元気にする。そのためタンパク質を補充するため豆腐を多く使った。なかでも豆腐を使った野菜チャンプルは男料理に向いていた。無水鍋でトマト60%、セロリ、ネギ、ニンニク20%、ジャガイモ20%を2時間かけて煮込むゲルソンスープは3~4日分を作り置きでき便利だった。この動物性タンパク質ゼロのメニューと断塩と野菜ジュースで6ヶ月頑張った。

四つ足動物の牛肉、豚肉、牛乳、バター、チーズにはがん細胞を元気にするインスリン様成長因子IGF-1が多く含まれている。これらの食材は全て酸性化食品、独り者に便利なハム、チーズは、がん細胞周辺を酸性に傾ける悪い食材。最初の6ヶ月間は修行中の禅僧のごとく食事管理を徹底した。6ヶ月を過ぎていただいたししゃも1匹の美味は忘れることができない。一人で戦ったこの6ヶ月は一番の思い出となっている。

ゲルソンの死から20年後に発表されたキャンベルレポート、チャイナプロジャクトによってゲルソン食事療法の有用性が見事に実証された。食塩を減らすノーソルト運動(ソルトは塩の意味)は世界に広まっている。

妥協しない完全ゲルソン食は正直6ヶ月が限界。

6ヶ月経って、ゲルソンも認める週1回の普通食は安らぎの日、一番の楽しみとなった。

 

私なりに工夫した簡易ゲルソンは寛解をもらった後も休むことなく、10年近く続けており、今もニンジンジュース2回、野菜ジュース2回、日に1200㏄飲んでいる。

私はこの本から言葉に言い表せないほどの勇気と希望をもらった。若き女性研究者によって書かれた名著である。

彼女は末期の進行がんから奇跡的に寛解した人達を訪ねて、世界各地を訪問し、聞き取り調査した結果を爽やかにまとめている。

 

 

マックスゲルソンとケリーターナーとの出会いは寛解への近道となった。

2014年11月 虹の会

ゲルソン食による体質改善の話と試食会を行った。

 

≪ゲルソン食 試食会で話したこと≫

 

「がんを発病して4年を過ぎ、進行がんになって1年を過ぎました。去年のこの虹の会は最後と思っていたので、唱えていた念仏、般若心経の話をしました。今日は、まだ生きているぞと、少し興奮気味ですが、この1年間お世話になったゲルソン食についての話をします。日本でゲルソン食に近いのは、石塚左玄(1851~1909年)の玄米菜食療法です。彼は漢方医の息子で、幼少より慢性腎炎を患い、医学を志した人です。左玄の食事療法は、ナトリウムは陰、カリウムは陽とする陰陽論です。ゲルソンは、左玄から30年後、1881~1959年に活躍したポーランド系ドイツ人医師です。左玄の時代には、グラハム・ベルや4トーマス・エジソンがいます。ゲルソンの時代には、シュヴァイツァーやアインシュタインがいます。ゲルソンとシュヴァイツァーは家族ぐるみの親交があったそうです。ゲルソンと左玄の共通点は、ナトリウム塩の過剰摂取を悪とし、カリウム野菜果物を善とする食事理論です。私は、進行がんになった時、左玄の玄米菜食か、ゲルソン食のどちらを選ぶか迷いましたが、がんの食事療法に特化したゲルソン食を選びました。ゲルソン食は、理論の裏付けがきちんとされており、納得できたからです。私が化学療法を受けながら外来診療を続けることができたのは、ゲルソン食のおかげと思っています。(中略) アップルの創業者スティーブ・ジョブズは、3年前に膵臓がんで亡くなりました。膵臓がんが発見された時、ジョブズは確固たる死生観を持っていたので、手術、化学療法を断り、左玄の弟子である桜澤が米国で広めたマクロビオティック食や、米国の医師たちが始めたナチュラルハイジーン食が盛んでした。(中略)彼の闘病生活は色んな意味で、賛否両論の評価を受けています。結果的に、膵臓がんで8年間生き延びたことは立派だと思います。私もゲルソン食事療法を取り入れ、ジョブズのように8年生きたいと思っています。玄米菜食を主体としたマクロビオティック食もゲルソン食も、自分の免疫力を高める作用は同じではないかと思います。(中略) がんに休眠していただくためには、体の免疫力をもとの健康な状態に戻すことです。免疫を回復させるには、食事だけでなく、睡眠と運動が大切です。睡眠については、またの機会に譲り、今日はゲルソン食についてお話しします。

ゲルソン食は四つ足の獣の肉、脂、乳を一切使いません。その上、私たちが不可欠と思っている塩、砂糖も使いません。(中略) 私もジョブズも、ミナベッセルの言うとおり、誤った食生活で体のミネラルのバランスが崩れていたのかもしれません。今日は、ゲルソン療法の柱であるニンジンジュース、野菜ジュースの作り方を、ノーウォークジューサーを用いて実際にお見せします。一般の粉砕式ジューサー、ミキサーは、野菜の成分を壊します。このジューサーは、左側でニンジンや野菜を荒く砕き、布で包んで右側で絞ります。簡単に短時間でこのような新鮮なジュースが作れます。できたジュースはその場で飲みます。(中略)ここにお見せするのは、ゲルソン博士が勧めるコーヒー浣腸のセットです。口から飲むコーヒー3杯分を蒸留水で1000㏄に薄めたものをこの点滴セットに入れ、浣腸します。できるだけ我慢し排便します。このコーヒー浣腸は解毒作用が強く、肝臓負担のある抗がん剤治療中は禁止です。それでは、私がこの1年食してきたゲルソン食を、料理長さんに協力いただき作っていただきました。どうぞゲルソン食を味わってください・・・」

 

(後日談) 会が終了し、一部の人は、あまりの低塩、低カロリーに驚き、その足で向かいのラーメン屋に行かれたと聞きました。

わずか1週間の旅だったがずいぶんと気持ちは元気になり、

体も楽になった気がする。帰路は笑顔が戻った。

 

私が実践した免疫活性化療法

≪睡眠療法≫

 

睡眠は成長ホルモンの分泌を促し、体の疲れを癒し免疫を活性化させる。

太陽が沈むと8時9時から脳内時計遺伝子は睡眠モードに入る。これと同期して交感神経から副交感神経モードに切り替わる。前半の深い睡眠で成長ホルモンが分泌され、リンパ球数は10時から3時まで最高値を保つ。このとき、成長ホルモンによる免疫の修復と活性化が行われている。私は9時就寝に努めた。不眠の人は睡眠薬を飲んででも寝るべきは結論。

 

≪メラトニン療法≫

ノーベル賞を受賞した低酸素誘導因子HIF-1はミトコンドリアの機能を低下させる。 

メラトニンはHIF-1の活性化を阻害するという報告がある。ミトコンドリアが元気になれば水素エンジンが動き、T細胞は元気になる。私は闘病中メラトニン20mg/日を夕刻に内服した。メラトニンの自然睡眠誘発作用は強く、内服30分後から眠気を感じた。

 

低酸素誘導因子HIF-1の仕組みを解明したセメンザ、ケーリン、ラトクリフ この3人は、2019年ノーベル生理学・医学賞を受賞した。

奄美大島に90歳にしてかくしゃくたる老経営者がいる。

気が合って、半値で譲ってくださった。

屋根の上にブリッジを新設、操船は楽となった。

漁船登録し、漁協組合の準組合員となり、

 

尖閣諸島を守る仲間達と南西諸島の海を走った。

 

私が実践した免疫活性化療法

≪12時間空腹療法≫

 

がん毒素により多くの人は食欲低下、筋肉減少、脂肪減少、結果として痩せてくる。この状態が悪液質。空腹時に胃から分泌されるグレリンは下垂体に働きかけ成長ホルモンの分泌を刺激する。成長ホルモンは、摂食中枢などに作用し、食欲亢進、体重増加に貢献する。さらに消化管機能調節作用によりミトコンドリアを元気にし、腸の免疫を活性化する。結果としてT細胞は元気になり、がんとの戦いを再開する。私は毎日夕食6時30分から翌日朝食6時30分までの12時間空腹は効果ありと感じている。     

 

≪アルカリ療法≫

 

がんはブドウ糖を分解し高エネルギー(ATP)を産生する方法として、酸素のいらない解糖系を巧みに使い、エネルギーATPを産生する。この時、乳酸と水素イオンHにより細胞環境を酸性化する。この酸性化を是正する方法としてアルカリ療法が生まれた。

私は秋谷七郎博士の推奨する純粋クエン酸10~15gをペットボトル500mlに薄め飲んだ。クエン酸は単なるアルカリ療法だけでなく、がん細胞のエネルギー活動である解糖系を抑える作用も報告されている。

治療中意識し努力したなかに筋肉がある。

弱い心と闘いながら、運動に努力した。

波立つ海でオーシャンスカルを漕ぐ。

 

自然の中で病を忘れる時間は、とても大切。

 

私が実践した免疫活性化療法

≪有酸素運動療法≫ 

筋肉

筋肉は生命維持装置。無重力での宇宙飛行士の悩みは骨筋肉の衰え。筋肉は熱を産生し体温を維持する。免疫の活性化に貢献するインターロイキン6、BDNFによる抗うつ笑顔ホルモン、神経保護、炎症抑制など30種類以上のメッセージ物質が確認されている。重力の恩恵を受けて大地を歩くウォーキングは筋肉を元気にし、がんと戦う身体を作る。2014年1月闘病のしんどさはピーク、ふらつきながら寒風の中を歩く。真夏は日傘をさして歩いた。朝夕に分けて一日5000歩を維持した。ベッドに寝転んで両手に1kgのダンベルを持ち、バンザイ体操を毎日100~200回励んだ。がんと闘うに筋肉は不可欠と理屈抜きに直感した。

 

毎日5000歩歩くには相当な意志力を必要とする。その一方で、病気を忘れる時間を増やすことも必要。戦うも遊ぶも必死だった。

 

骨 

筋肉と同様に骨からも多数のメッセージ物質(ホルモン)が確認されている。インスリン、成長ホルモン分泌促進、臓器を活性化するスーパーホルモンの他、老化と免疫力の低下を抑制するメッセージ物質オステオポンチンに世界の注目が集まるなか、2006年には国際骨免疫学会が始まった。着地時の重力効果の得られるウォーキングは骨の健康維持に不可欠。

私は、ベンテペターゼン博士の”骨を鍛えれば長寿となる”の言葉を直感的に信じた。

 

  運動はリンパ球を増やし免疫を活性化する作用がある。

抗がん剤副作用に苦しむ最中、

神頼み、屋久島に参拝、千年杉の精霊に回復を祈願。

帰途、口永良部島の噴火に遭遇、

 

この瞬間を捉えた写真は翌朝の朝日新聞一面を飾った。

 

私が実践した免疫活性化療法

≪放射線と低用量抗がん剤療法≫

 

私が放射線治療と低用量抗がん剤療法との組み合わせを決意したのは、近藤誠の「患者よ、がんと闘うな」に菊池寛賞が与えられた頃だった。骨転移巣に対しては粒子線を、後腹膜リンパ節転移には放射線を照射した。この間、元気でいてほしいリンパ球のために抗がん剤は大学の5分の1から18分の1の少量にとどめた。この少量が回復の決め手になった。

がん細胞と闘うのは自分の免疫(リンパ球)、免疫は時計のように規則正しいサイクルで回っている。この免疫サイクルを停止させないのが治療の基本。免疫サイクルの健康度はリンパ球数で分かる。私は抗がん剤治療中、リンパ球数を1500個前後に保った。

リンパ球数計算式 

リンパ球数=白血球数×リンパ球%

 

私は骨転移に対する粒子線治療の際は抗がん剤5FUを内服しながら照射した。腸骨リンパ節転移群への腹部放射線照射の際は、ゲムシタビン、パクリタキセル、白金製剤の3種の抗がん剤を点滴投与した。効果あって骨転移病巣は消失、腸骨リンパ節病巣消失、放射線治療のアブスコパル効果のおかげか放射線を照射していない肺転移巣まで消失した。私が助かったのは抗がん剤を主役にしなかったからだ。放射線治療を主役とし、がん細胞の放射線感受性を高める目的で低用量抗がん剤に固執した。

治療中指示通りの量を飲まなかったり、勝手に抗がん剤の点滴を延期したり中止したり、主治医には度々失礼なことをしたが、助かった今は水に流していただいている。

入浴介護用首枕、両手にビーチサンダル

体の力を抜いて海に漂い、

大好きな海からタラソの恵みをいただく。

 

大自然の癒しの力は偉大なり。

 

私が実践した免疫活性化療法

≪がん休眠療法・メトロノーム療法≫

 

がん細胞を殺傷する主役は自分の免疫細胞であって抗がん剤ではない。

抗がん剤はあくまで脇役。ここを間違って抗がん剤を主役にすると抗がん剤毒死の危険性が増してくる。画像上縮小して見えたがん病巣は免疫の機能が下がると再び勢いを盛り返してくる。リンパ球数1000個以下と免疫サイクルガタガタ状態の体に抗がん剤を追加投与すると、その毒性によりリンパ球はさらに減り、自己免疫は破綻し、人は命を失うことになる。

 

メトロノーム療法とはがん休眠療法のなかでよく使われる方法。がんを死滅させることを目的とした高用量、最大耐用量を用いる従来の標準化学療法に対し、メトロノーム療法はがんと共存する治療。標準量の5分の1から20分の1の低用量を使用する。

免疫細胞であるリンパ球数を1500個前後に保つように注意深く、メトロノームのように一定間隔のゆっくりリズムで抗がん剤を投与する。がん細胞を殺傷するのではなく、がん細胞の増殖を抑えることを目的とする。

 

この治療は私のようにすでに転移の始まったステージ4の末期がんには、がんがおとなしくしている間に気力、体力を回復させ、自分の免疫サイクルの元気度を戻し、元気なリンパ球にがんと戦ってもらいながら、目指すは、少しでも長生きだ。

 

私の低用量抗がん剤治療中、その間リンパ球数を1500前後に保っている検査データは私の生存の証でもある。

膀胱内へ注入する結核菌東京株 

ヒト結核菌ではなく、牛型結核菌を、時間をかけて弱毒化したもの。

 

私が実践した免疫活性化療法

≪結核菌BCG膀胱注入療法≫

 

2年間を超える低用量抗がん剤治療を終わり、PET検査陰性で寛解を告げられたが、安堵していなかった。尿管がんの2人に1人は下流の膀胱にがんを併発することが統計的にわかっているからだ。やはり膀胱内視鏡の検査で右尿管孔周辺に膀胱がんを指摘された。治療は内視鏡による外科的切除術と膀胱内に弱毒化した結核菌東京株を注入するBCG膀胱注入療法。原著Lamm法では、弱毒化したBCGの膀胱内注入と皮下注の併用を勧めている。免疫の強力な賦活作用を持つ結核菌は膀胱がんに対する有効率60~80%。この数値は世界最強の抗がん剤と言っても過言ではない。2年間の治療中、内視鏡手術4回、結核菌BCG膀胱注入療法26回を受け、達成率16%と言われている難関Lamm法26回を達成した。治療の結果がんは消失した。

治療前

治療終了後


≪丸山ワクチン療法≫

 

皮膚科医だった丸山千里博士は皮膚結核の治療のために結核ワクチンの研究をしていた。結核療養所、ハンセン病療養所には癌患者はほとんどいないことに気付き、結核菌やライ菌に癌を抑える成分があると考え、結核菌を煎じて無害とした丸山ワクチンを開発した。

丸山ワクチンの目に見える効果はリンパ球数の増加である。私はLamm法で併用しているBCG皮下注の代わりに丸山ワクチンを用いた。効果ありと思っている。

皮膚結核に驚くほどの効果を示した丸山ワクチンは、

その後40万人を超える人が試み、がん患者の延命効果が認められた。

国は有償治験薬として認め、現在に至る。私は寛解後も根気よく続けている。

闘病中の2016年、大田蓄音機博物館に

友人夫妻を招いてコンサートを開いた。

 

20243

70歳血尿での発症から14年。

大学で手術を受けて12年。

ステージ4の余命告知を受けて10年過ぎた。

 

≪主治医と二人三脚≫ 

ステージ4の末期癌となり余命はわずか4ヶ月、よくて6ヶ月、抗がん剤が効けば1年。ここまで進んだがんを消そうとは思わない。願わくは現状で休眠してもらう方法はないかと、焦る気持ちの中で、安保 徹の免疫学講義、ケリーターナーのがんが自然に治る生き方に出会い、がんと戦うは抗がん剤ではなく自分の免疫(リンパ球)と知った。ここから直感に基づいた自己流の免疫活性化療法を実践し、回復にこぎ着け11年に近い。

  

主治医からのメッセージ

「右腎尿管一部膀胱摘出から化療入院、その後の肺、骨、リンパ節転移が治癒したのは、泌尿器科学会でも極めて稀な症例報告と思います。小生が考える治療内容に大田先生自身の猛勉強による治療方針に正直戸惑いの連続でした。結局その緊密な折衷案でここまで来られたのですからたいしたものだと思います。光畑直喜」 

 

"助かった極意をよく聞かれる"

いずれも右半身の転移であり、左側には飛んでいないから、まだ初期と希望的解釈をし、気持ちを前にむけた。ウォーキング、エルゴ、ダンベル体操を日々継続し、筋肉量を測ってはヨッシャの気持ち。免疫を元気にしたのは気持ちの持ちようが大きいと思う。気分転換に心がけ、何があっても良い方に解釈するプラス思考!正直、転移を告げられた時はズシンと落ち込んだ。しかし、末期がんでも、まだ初期と自分に言い聞かせ、神戸の公的病院で適用なしと断られた粒子線を郡山の民間病院で受けた。粒子線で前立腺がんを治したゴルフ仲間の元気な姿は私の背中を押した。彼は97歳、未だにゴルフ、麻雀、車運転と老い知らず。私の大きな目標である。

 

質問への答え

1. 睡眠 有酸素運動 骨と筋肉を意識

2. 減塩と大量の野菜ジュースを怠らず

3. 目標は自己免疫の主役、リンパ球数2000個以上

4. がんを消そうと思わない、がんと共存し長生き

5. がんを忘れる時間を増やし、夢、ロマン、希望、貪欲に生きる